生活・空間コーディネーターの資格取得に気持ちがいき、
4月・5月と仕舞・謡のお稽古に今一つ身が入らず自主練をさぼり・・・
ハイ!昨日の仕舞のお稽古はみっちり指導していただきました。(>_<)
そんな時は気分を変えて♪
(気分直ししたいのはワシの方だ)という師匠の声が聞こえてきそう。(^_^;)
帰り道にある大垣駅近くの老舗和菓子屋「金蝶園総本家」さんの水饅頭をいただきました。

水の都とも言われる大垣の水饅頭はとても有名です。
氷に浮かんだひんやり水饅頭。(こし餡といちご餡)
これから夏に向かい、お稽古→水饅頭のコースになりそうだわ。
話は変わり、吉田嘉謡社から年1回発行される「花月」

先輩お弟子様と共に、私の文が載りました(^^)
こちらのブログで書き連ねた事をまとめた感じの内容ですが、
こうして手に取ると嬉しいものですね。
気持ちを切り替えて、7月に開催される京都の発表会に向けて頑張ります!
「お稽古の動機と望み」
大垣のお稽古場で篤史先生(師匠)に謡と仕舞を習い始めて、ちょうど1年が経ちました。
お稽古は勿論のこと、能楽堂で舞台を初めて鑑賞したのが一昨年の7月と、まだまだ全てにおいて経験不足の若輩者ではございますが、僭越ながら私が謡、仕舞をお稽古している動機をこちらに書かせていただきたく存じます。(私事の内容ばかりで申し訳ありません。)
私が一昨年最初に鑑賞した演目は『隅田川』で、これは人買いに連れ去られた息子の死に慟哭する母が、息子の墓の前で我が子の声を聞くも、あの世とこの世に隔てられ、息子を抱きしめることもできないまま夜明けになってしまったという悲劇のお話です。
我が身に置き換え感情移入、ハンカチ片手にすすり泣きながらの舞台鑑賞でした。
その後数回能楽鑑賞をして、幽玄の美学、伝統の持つ重みや、形而上的世界にすっかり魅了されました。
そこで謡の内容を講義していただける場を探していたところ、師匠とご縁がありました。
とはいえ、その時は京都在住の能楽師の先生、名古屋在住の私が師匠の元で習うとは予想だにしておらず、その後、仕事後でも通える大垣で、月2回出稽古をされていると伺い・・・。
縁とは不思議なもので、人でも事でもこちらが結びたいと思いそれなりに努力しても、駄目な時は何をしてもうまくいかないのに、良いご縁は爽やかな風と共に、とんとん拍子に事が運んでいくものだと、この年になると本当に強く感じています。
師匠との出会いも良いご縁とありがたく受け止めて、教えていただくことにあいなったわけです。
とはいえ、現役で活躍されている能楽師の先生に直に教えていただくことに戸惑いと恐れ多い気持ちで一杯というのは、1年経った今でも正直感じております。
なぜなら、私は大人になってから人前で歌いたいと思ったことが一度も無しの音痴であり、ましてや7年程前にリウマチを発症して、何箇所か関節が不自由で正座も出来ないと、謡と仕舞を習うにはハンディがある身です。
しかしこの先、もし病気が進行して今より身体が不自由になった時、あの時やっておけばよかったと後悔はしたくない。
何より日本の伝統芸術、能楽の世界にもっと近づきたいとワクワクしている好奇心を大事にしたい。
師匠はそのような私の気持ちと事情を理解してくださった上で、毎回熱心に指導してくださり本当に感謝しております。
私は今『土蜘蛛』の謡をお稽古しています。
薪能で『土蜘蛛』は鑑賞しましたが、一般にイメージしている能らしい幽玄、優美さに欠けるきらいはありますが、次々と糸を繰りかける土蜘蛛を、独武者が退治する場面などは理屈なしに面白いスペクタルでした。
林望先生の著書の中に、「土蜘蛛」について、古代『古事記』や『日本書紀』の中に大和各地に割拠していた、「まつろわぬ民(異族)」なかでも新城戸畔、居勢祝、猪祝を「この三処の土蜘蛛」と呼び恐れられており、大和朝廷の治世は諸国に割拠する土蜘蛛の平定圧服の歴史だったのが、歴史が忘れさられて、しかし恐怖の記憶だけが残り、妖怪変化の話として残ったと記されています。
そしてこの種のものを共に楽しむという営為の中に、私どもの祖先の、ごく原始的な願いや信仰、あるいは世界観というようなものが息づいていると見なくてはいけないと記されています。
又、胡蝶という謎の女が冒頭「浮き立つ雲の行方をや~風の心地を尋ねん」と謡います。
これは「雲」の隠し言葉が「蜘蛛」で「蜘蛛の行方を尋ねよう」となるらしいのです。
他にもシテが「月清き、夜半とも見えず雲霧の~」と謡う「クモキリ」は「蜘蛛切りの霊刀」の話と関係している等、こうして解説を読むと、歴史や隠れた意味、美しい詞章等がわかり大変興味深いです。
仕舞は今『経正』をお稽古しています。
そこで3月3日桃の節句に琵琶の名手であった平経正ゆかりの仁和寺(にんなじ)に行ってきました。
仁和寺は京都の右京区に位置しており、代々皇族の人間が出家して法親王として入り、寺の管理にあたるのがなわらしで、経正は十二歳で元服するまで稚児として御室に仕えていました。

経正がいよいよ都を捨て西国に向う際、仁和寺に立ち寄り「青山」という琵琶の名器を法親王に預け、和歌を詠み合い別れを惜しんだとされる場所なのです。

(能の『経正』は彼の死後、回向の管弦講を催していると、経正の亡霊が現れて、手向けられた琵琶を懐かしく弾き、夜遊の舞をまって興じます。やがて修羅道の苦しみ・憤怒の思いを恥じて灯火を吹き消して闇の中に消え失せます。)
琵琶を愛し貴族的暮らしをしていた公達が、突然戦いの場に身をおかなくてはいけない人生。
残念ながら琵琶も当時の仁和寺も現存していませんが、この寺の高貴で穏やかな空気に心が洗われると共に、経正の気持ちに思いを馳せる旅となりました。
これからも本を読んだり現地に赴き、楽しみながら知識を蓄えたいと思います。
同時に謡や仕舞のお稽古も精進すれば、美しい文学(詞章)を、美しい旋律やリズムにのせて謡い上げ舞った時、目の前に風景や、心情が一気に広がるような気がいたします。
これら学んだ事を一旦心の奥に落とし込み、頭を真っ新にして色々な舞台を鑑賞したい、心を震わせたい。
これを味わいたいが為というのが、私がお稽古している一番の動機であり望みです。
とはいうものの、まだまだ入口の扉を開けばかりの私ですので、今後も地道に学んでいきたいと思っています。
長文を最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(__)m
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