2012年 01月 26日
映画『サルトルとボーヴォワール』色々な愛の形
名演小劇場にて『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』を鑑賞。(以下備忘録的感想)
サルトルといえばあまりにも有名な哲学者。(哲学の詳しいことは??です(^_^;))
ボーヴォワールはそのサルトルの実存主義に加担するとともに、
フェミニズムの立場から女性の解放を求めて闘った女性。
1908年(仏)生まれの彼女の(若き)時代までは、ある階級以上の女性は働かず、
親の決めた結婚相手に嫁ぎ、男によって女の人生が作られるのが女の幸せと言われていた。
そんな生き方に反抗し、サルトルとボーヴォワールは契約結婚という全て対等であり、
お互いの自由を尊重するという新しい男女の結びつきを実践する。
しかしそれは自由恋愛(サルトルは次から次へと女性遍歴を重ねる)における、
戸惑いや嫉妬心を、哲学や思想で抑え込もうとするボーヴォワールの戦いでもあった。
自由過ぎる契約結婚という状態は、いつしか男女というより戦友のような、
勝手過ぎるサルトルに手を焼きながらも味方する母のような関係へと変化していく。
彼らは結婚も子供を持つことも拒否するが、
(映画では30代後半になり、別の男性との愛に目覚め子供を欲するボーヴォワールも描かれる)
これまでの常識を壊し、世の中に新風を巻き起こす哲学的発言や数々の出版物等、
実存主義・新しい女性の生き方こそ、彼らが産み落とした子供ともいえるのでは。
日本でも明治~大正において青鞜の平塚らいてうや伊藤野枝が、
女性の新しい生き方を模索して戦っていた歴史がある。
ボーヴォワールにしても伊藤野枝にしても、声高らかに肩で風切りながら
女性の地位向上・自由恋愛という名のもとに、ボーヴォワールは同性愛を
野枝は友人の旦那さんと不倫したり奪略したりと・・・
いやはや世の中の常識を変えるということは、愛も戦いなのだなと。
でも彼女達の戦いの積み重ねが、現代女性の生き方の可能性を広げたのも事実である。
(おまけ)
既婚者である私の自由恋愛(不倫)のイメージは、誰にも言わずひっそり始めて、ひっそり葬る。
この儚さこそ文学的、大人的に思えるのだが。
しかし、これでは世の中を変えることは出来ないなぁ~
葬った後、せいぜいブログで悲しいポエムを書くくらいが関の山よね。 笑
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サルトルといえばあまりにも有名な哲学者。(哲学の詳しいことは??です(^_^;))
ボーヴォワールはそのサルトルの実存主義に加担するとともに、
フェミニズムの立場から女性の解放を求めて闘った女性。
1908年(仏)生まれの彼女の(若き)時代までは、ある階級以上の女性は働かず、
親の決めた結婚相手に嫁ぎ、男によって女の人生が作られるのが女の幸せと言われていた。
そんな生き方に反抗し、サルトルとボーヴォワールは契約結婚という全て対等であり、
お互いの自由を尊重するという新しい男女の結びつきを実践する。
しかしそれは自由恋愛(サルトルは次から次へと女性遍歴を重ねる)における、
戸惑いや嫉妬心を、哲学や思想で抑え込もうとするボーヴォワールの戦いでもあった。
自由過ぎる契約結婚という状態は、いつしか男女というより戦友のような、
勝手過ぎるサルトルに手を焼きながらも味方する母のような関係へと変化していく。
彼らは結婚も子供を持つことも拒否するが、
(映画では30代後半になり、別の男性との愛に目覚め子供を欲するボーヴォワールも描かれる)
これまでの常識を壊し、世の中に新風を巻き起こす哲学的発言や数々の出版物等、
実存主義・新しい女性の生き方こそ、彼らが産み落とした子供ともいえるのでは。
日本でも明治~大正において青鞜の平塚らいてうや伊藤野枝が、
女性の新しい生き方を模索して戦っていた歴史がある。
ボーヴォワールにしても伊藤野枝にしても、声高らかに肩で風切りながら
女性の地位向上・自由恋愛という名のもとに、ボーヴォワールは同性愛を
野枝は友人の旦那さんと不倫したり奪略したりと・・・
いやはや世の中の常識を変えるということは、愛も戦いなのだなと。
でも彼女達の戦いの積み重ねが、現代女性の生き方の可能性を広げたのも事実である。
(おまけ)
既婚者である私の自由恋愛(不倫)のイメージは、誰にも言わずひっそり始めて、ひっそり葬る。
この儚さこそ文学的、大人的に思えるのだが。
しかし、これでは世の中を変えることは出来ないなぁ~
葬った後、せいぜいブログで悲しいポエムを書くくらいが関の山よね。 笑
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by mimoza1105
| 2012-01-26 00:00
| 本・ライブ・映画・jazz