2014年 01月 14日
本「地下室の記録」ドストエフスキー
週末に参加する読書会の課題本
ドストエフスキー『地下室の記録』の備忘録です。
週末までにもっと深めなくては!
(アウトプット用の事前メモなので意味不明かもです。)
「地下室の記録」
底意地の悪い役人であった→嘘である→底意地が悪いとは逆の要素がうんざりするほどある→しかしそれらを(わざと)解き放ってやらなかった、そしてその要素に苦しめられる→全てにうんざりする→人から見たら何かを懺悔し、何かを許しを請おうとしていているように見えるのではないか?→人からどう見えていてもわたしにとってはどうでもいい。→たんに底意地の悪い人間どころか、何者にもなれなかった。
・例えば、底意地の悪い人間どころか、何者にもなれなかった。を言いたいがために上記のような事を何ページも使って書いている。
⇒全編にわたり自己を、否定→なげやり(見せかけているだけ)→肯定→否定→逆説→それすら否定・・・そんな印象を受ける。
・とりとめのない考えから、深い思考までを全部文章にしていく。
⇒自己を観察し、心の模索を文章化する。
・心の地下にどんどん降りていく、又は心に張り巡らされた迷路のような地下室を探検する。
⇒自己探究の記録書のように感じる。
・時代背景:農奴解放から激変していく混迷のロシア、革命前
ドストエフスキーは青春時代をユートピア社会主義(近代的な社会主義の思想の最も始まりに位置する思想)の一つ、フーリエ主義に傾倒した。
→極左的立場
・それにより死刑宣告→恩赦によりシベリア流刑(懲役4年・兵役5年)→出所
・出所後はユートピア社会主義への幻滅、キリスト教への回帰も見られる。
⇒検閲当局を強く意識しながらの作家活動は、数々の作品にも影響しているのか?
・わざとまわりくどい書き方は検閲当局を欺くため?
それとも革命を企てている人達に向けての隠されたメッセージなのか?
⇒ドストエフスキーが本当に伝えたい事は何なのか?
「「ぼたん雪にちなんで」
この「地下室の記録」の主人公の10代~20代に焦点をあてて書かれた「ぼたん雪にちなんで」はドストエフスキー自身の若い頃に思えて仕方がない。
⇒どちらも自叙伝に近い?
P76(一部抜粋)
わたし自身、途方もなく虚栄心がつよく、おまけに自分にたいする要求がきつすぎたため、かなりの頻度で、嫌悪を覚えるほどの狂おしい不満をいだきながら自分を見つめ、だれもが自分と同じような見方をしているものと思いこんでいた。
・他人への批判、軽蔑を持ちながらも、反対に他人の目に自分がどう映るのか病的な程、気になって仕方がない。
・どこか普通でない自分を感じ、何とか普通を演じようとしてもがいている。
他人との距離感分からず、友人から受け入れてもらえない孤独にあえいでいる。
・自分の殻に閉じこもり、他人を拒絶する。
・思考回路が他人と違う苦しみと共に、違うということで、人より優れていることへの優越感もある。
⇒思春期の数々の特徴が、読んでいて可哀想になるくらい強く出ている人物。
だが我々も当時を思い返せば、程度の差はあれ共感できる部分もある。
・そのエネルギーが歪むと暴力、自傷、排他主義等へ、
ベクトルが大きく負に向かった時、若者による無差別殺人等に繋がる気がする。
・「地下室の記録」の主人公はどんな人生を歩んできたらこういう人間になるのだろうかと思いながら読んでいたら、次の「ぼたん雪にちなんで」が、若い頃の主人公の話になっていたので、少しは理解できたような気がする。
・多くの人が(私もまたその一人)自分の心の地下室になるべく入らないで生きているように思う。
それは、自分の内面を掘り下げ、見つめ直す作業はとてつもなくエネルギーが必要だから。
⇒内観はとても苦しい。だが、内観によってプラスに向う場合もある
・ドストエフスキーはあえて自分の地下室(心の闇)を表(文章化)に出すことで、人々に何かを訴えかけているように感じた。
⇒過去の自分がそうであったように、ユートピア社会主義や革命(正義の為なら殺人も正当化)に傾倒する若者に、内観の大切さや本当の正義を自分の中に見つけ出して欲しいと思い書かれたような気がした。
今月の読書会は、この本の訳を手掛けられた亀山先生が、ゲストでお越しになります。
何故ドストエフスキーはこの本を書いたのか、その真意が伺えたら嬉しいです。
この『地下室の記録』後に書かれた『罪と罰』、以前挫折したままになっているので、再トライしてみたいです。
最後まで読んで下さりありがとうございましたm(__)m
いつもご訪問ありがとうございます。1日1回押してくださると嬉しいです
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ドストエフスキー『地下室の記録』の備忘録です。
週末までにもっと深めなくては!
(アウトプット用の事前メモなので意味不明かもです。
「地下室の記録」
底意地の悪い役人であった→嘘である→底意地が悪いとは逆の要素がうんざりするほどある→しかしそれらを(わざと)解き放ってやらなかった、そしてその要素に苦しめられる→全てにうんざりする→人から見たら何かを懺悔し、何かを許しを請おうとしていているように見えるのではないか?→人からどう見えていてもわたしにとってはどうでもいい。→たんに底意地の悪い人間どころか、何者にもなれなかった。
・例えば、底意地の悪い人間どころか、何者にもなれなかった。を言いたいがために上記のような事を何ページも使って書いている。
⇒全編にわたり自己を、否定→なげやり(見せかけているだけ)→肯定→否定→逆説→それすら否定・・・そんな印象を受ける。
・とりとめのない考えから、深い思考までを全部文章にしていく。
⇒自己を観察し、心の模索を文章化する。
・心の地下にどんどん降りていく、又は心に張り巡らされた迷路のような地下室を探検する。
⇒自己探究の記録書のように感じる。
・時代背景:農奴解放から激変していく混迷のロシア、革命前
ドストエフスキーは青春時代をユートピア社会主義(近代的な社会主義の思想の最も始まりに位置する思想)の一つ、フーリエ主義に傾倒した。
→極左的立場
・それにより死刑宣告→恩赦によりシベリア流刑(懲役4年・兵役5年)→出所
・出所後はユートピア社会主義への幻滅、キリスト教への回帰も見られる。
⇒検閲当局を強く意識しながらの作家活動は、数々の作品にも影響しているのか?
・わざとまわりくどい書き方は検閲当局を欺くため?
それとも革命を企てている人達に向けての隠されたメッセージなのか?
⇒ドストエフスキーが本当に伝えたい事は何なのか?
「「ぼたん雪にちなんで」
この「地下室の記録」の主人公の10代~20代に焦点をあてて書かれた「ぼたん雪にちなんで」はドストエフスキー自身の若い頃に思えて仕方がない。
⇒どちらも自叙伝に近い?
P76(一部抜粋)
わたし自身、途方もなく虚栄心がつよく、おまけに自分にたいする要求がきつすぎたため、かなりの頻度で、嫌悪を覚えるほどの狂おしい不満をいだきながら自分を見つめ、だれもが自分と同じような見方をしているものと思いこんでいた。
・他人への批判、軽蔑を持ちながらも、反対に他人の目に自分がどう映るのか病的な程、気になって仕方がない。
・どこか普通でない自分を感じ、何とか普通を演じようとしてもがいている。
他人との距離感分からず、友人から受け入れてもらえない孤独にあえいでいる。
・自分の殻に閉じこもり、他人を拒絶する。
・思考回路が他人と違う苦しみと共に、違うということで、人より優れていることへの優越感もある。
⇒思春期の数々の特徴が、読んでいて可哀想になるくらい強く出ている人物。
だが我々も当時を思い返せば、程度の差はあれ共感できる部分もある。
・そのエネルギーが歪むと暴力、自傷、排他主義等へ、
ベクトルが大きく負に向かった時、若者による無差別殺人等に繋がる気がする。
・「地下室の記録」の主人公はどんな人生を歩んできたらこういう人間になるのだろうかと思いながら読んでいたら、次の「ぼたん雪にちなんで」が、若い頃の主人公の話になっていたので、少しは理解できたような気がする。
・多くの人が(私もまたその一人)自分の心の地下室になるべく入らないで生きているように思う。
それは、自分の内面を掘り下げ、見つめ直す作業はとてつもなくエネルギーが必要だから。
⇒内観はとても苦しい。だが、内観によってプラスに向う場合もある
・ドストエフスキーはあえて自分の地下室(心の闇)を表(文章化)に出すことで、人々に何かを訴えかけているように感じた。
⇒過去の自分がそうであったように、ユートピア社会主義や革命(正義の為なら殺人も正当化)に傾倒する若者に、内観の大切さや本当の正義を自分の中に見つけ出して欲しいと思い書かれたような気がした。
今月の読書会は、この本の訳を手掛けられた亀山先生が、ゲストでお越しになります。
何故ドストエフスキーはこの本を書いたのか、その真意が伺えたら嬉しいです。
この『地下室の記録』後に書かれた『罪と罰』、以前挫折したままになっているので、再トライしてみたいです。
最後まで読んで下さりありがとうございましたm(__)m
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by mimoza1105
| 2014-01-14 19:59
| 本・ライブ・映画・jazz